2006年12月
『宇宙の法則・自然の法則 〜満仲サロンへようこそ〜』・・・満仲 雄二 先生


皆さん、こんにちわ。
満仲サロン講座シリーズとは、熊野学の生き字引・満仲雄二先生の講座を、ご専門である熊野学の領域から表記のごとく 「宇宙の法則・自然の法則」 といった物事の本質にまで迫ることを目標とした、意欲的且つオリジナルな内容を標榜とするものです。
物事の起源までしっかりとフォローされた先生の知識を駆使することにより、歴史の裏に通ずる先人の知恵の現代解釈から、今後の地球環境と人間生活とのバランスを考える上で重要なキーワードとなるスローライフやクオリティライフ、ロハスといった発想の大元への紐解きとアプローチといった分野まで、回数を重ねるごとに幅広く飛び出してくるかと存じます。
現代を生き抜くための 「日本人力」 を目覚めさせ 「見えないものを見る力」 をも養う本講座、どうぞ宜しくお願い致します。

【満仲 雄二(みつなか ゆうじ) 先生】
1970年代、イタリアで東西文化のアイデンティティ統合を目指し、結果、以心伝心をテーマとする。その後、熊野玉置山に 「自然の理」 を学び、環文化計画として事業が循環する 「環の仕組み」 による以心伝心システムを提案、開発。
21世紀型循環社会実現への統合的経営意識やコンサルティングの指導を実施。「熊野塾」 の公開講座や千利休物語 「花は野にあるように」 公演プロデュース等、多岐に渡る活動を実施している。

「みなさん、こんにちは 」 満仲先生が会場のみなさんに挨拶をされ、「熊野では 12 月になると “火祭り” の準備が始まります」 とのお話で今回の講座は始まりました。

「熊野には 2つの火祭りがあります。ひとつは、熊野那智大社の摂社 「飛瀧(ひろう)神社」 で行われる 「那智火祭り」 で、もうひとつは熊野速玉大社の摂社 「神倉神社」 で行われる 「お燈(とう)祭り」 です。那智の火祭りは7月14日の昼間行われ、お灯祭りは2月6日(旧暦:正月6日)の夜に行われるものですが、この時期に始まっている準備はお燈祭りに対してのものです」
「一年を通して冬至( 12/22) の頃の陽が一番短くなりますが、2/6の頃になりますと陽の長さが少し取り戻されてきます。このような陽を失った厳寒期を乗り越え、皆に春を待ち望む気持ちが芽生え始めるこの時期に、神事として男たちが火を担ぐお燈祭りが行われるのです。ちなみに陽が一番長くなる夏至(6/22) の頃には、やや陽が短くなる7/14に那智の火祭りが開催されます。
私は 20年ほどお燈祭りに出ておりますが、これに参加すると私自身、身体の中に灯る炎を確認することができるのです。また、毎年色々な人を連れてゆきますが、祭りに参加されると皆さん一様に 「何かがわかった!」 とおっしゃいます(笑)。
その気持ちの拠り所としては、空海が述べたという “仏法遥かに非ず、心中にして、即ちこれ近し” の言葉を思い出さずにはいられません。まさに “魂の光” ともいうべきお燈祭りのオーラだと思うのです」

「ここで ”お燈祭りの神事” について具体的にご説明申し上げたいと思います。 まず神倉神社にあるご神体、ごとびき岩の大しめ縄を張り替えることから祭りの準備は始まります。ふもとの社務所前で市内の農家が寄進するイネ藁(わら)を、神社奉賛会、奉賛会青年団、速玉大社神職ら約 80人が約2時間がかりで、長さ30メートル、直径25センチ、重さ200キロに編み込み、おはらいの後、全員でしめ縄を担ぎ538段の急な石段を登って山頂に向かいます。そして針金で引っ張り、先端が二又になった専用の棒で押し上げ岩に巻き付けて大しめ縄の張替えは終わります。
このごとびき岩は別名ヒキガエルと呼ばれておりまして、男性のシンボルと考えられております。ちなみに女性のシンボルは “花の窟(はなのいわや)” と呼ばれる高さ70mに及ぶ岩壁で、花の窟神社の御神体であります。花の窟 は、神々の母である伊弉冊尊(イザナミノミコト)が火神・軻遇突智尊(カグツチノミコト)を産み、灼かれて亡くなった後に葬られた御陵とされておりますが、もうひとつ海の花の窟と呼ばれる ”ごとびき岩そっくりの岩” も海中にあります。
通常、男性を陽、女性は陰とみますので、 ごとびき岩は陽、 花の窟は陰となりますが、 ごとびき岩そっくりの 海の花の窟を陰とする見方もあり、まさに熊野には陰陽の転換、すなわち命の転生が存在するのです 」
「同じく、陰陽で物事を計るならば、山の神は女性なので女人禁制となります。何故なら女性が入山すると山の神が嫉妬するからです。ですから男性であるごとびき岩は、本来なら陰陽の交わりからして女性が赴くところなのですが、あえて男性が赴いた上でしめ縄を締めているのです。
ちなみに山の神に対して失礼があった場合、熊野には謝罪の意を込めて山に向かって男衆が並びズボンを下ろす風習が残っておりますが、これは非常にシンプルでわかりやすいと思いますね(笑)」

ここまで話された 満仲先生は会場の照明を暗くすると、用意されていたスライドを映し出されました。 「これは火祭りが行われる新宮での神社の鳥居の写真なのですが、この一帯では鳥居の形はまっすぐな棒を組み合わせた形状になっております。ちなみに都に近づけば近づくほど鳥居の両端が上にのけぞるような、いわば偉そうな形状に変化してゆきます」
「こちらは新宮周辺の海の風景ですが、神秘的な雲や岩場が写し出されております」
「こちらは ”王子が浜” と呼ばれる砂利浜ですが、この名は神武天皇が九州から大和に入る際、生駒にて行く手を阻まれたので大阪湾から紀伊半島を迂回し、この浜から上陸したことから由来しております。ちなみにこの地を定めた理由は神武天皇が 「我は陽を背負いて上陸すべし」 と述べたからだといわれております」
「これは火祭りに先立ち、男衆が禊をしているところですが、この時期の海水はとても冷たく、また季節柄天候も曇ることが多いので決意も大変なものです。ちなみにこの写真を撮影した年は珍しく晴天で 「本当によかったね」 と話していたのですが、それもつかの間、海に向かって祝詞をあげていたら急に大波が襲ってきたので、やはり熊野の海はあなどれないなと再確認した次第です(笑)」
「祭りの開催される2/6の昼間はさほどではありませんが、一旦陽が陰りだすと街中の雰囲気は一気にお祭りモードへと一変致します。この石段は祭りのクライマックスに男衆が燃え盛るたいまつを掲げて我先にと走り降りてくる場所なのですが、2/6の午前零時から丸一日は、ふもとの鳥居から先は女人禁制で、ごとびき岩を含めた神社内はまさに男だけの場所となります。ちなみに今までに男装した女性が幾度か入ろうとしたことがあったのですが、自警団によってことごとく止められております。この自警団というのはこちらの写真に写っている背中に “神” とかかれた男衆ですが、この日に限りこの者たちは神様の使いという使命を与えられていますので、現場を仕切ることについては警察よりも強い権限を与えられているのです」
「この写真は燃え盛るたいまつを持った男衆たちが走り去る光景です。このように炎を抱えながら先ほどの不安定な石段を一目散に駆け下りるのですが、このダイナミックさはなかなかできることではありません。それは万一倒れるようなことがあろうものなら命の保障がないほどなのです。
この命をかけた火祭りに挑む男衆が着込む白装束は静粛を表し、燃え盛る炎が生命の象徴となります。そして厳寒のさなか、たいまつに火が付いた瞬間、辺り一帯は真っ赤に染め上げられ真っ暗な無の世界に命が宿ると、その命の炎は溶岩が流れ出すかのごとく山の斜面を炎が駆け下りて行くのです。その光景たるや誠に見事の一言に尽きると思います」

こうしてスライドを用いてのお燈祭りの説明を終えた満仲先生は、たいまつの現物を実際に携えて皆さんの前に立たれました。
「これは火祭りで実際に使われるたいまつの現物で、一本 5000円ほどで買い求めることができます。そしてこのたいまつの先に火を点し、手元の神社名が書かれた部分まで燃やし切るのですが、それには約40分程度かかります。
火を点したたいまつは必ず右手で持ちます。そして、お互いすれ違うときには “バンバン” と叩きあい “頼むで” と声を掛け合います。これは “万一階段でこけた場合、頼むで” の意味が込めた挨拶なのです。さらに手元の握る部分には神社名の他に願い事を書き込むなどして、神事、そして命を懸けた火祭りとしての取り組みが、このようなたいまつひとつからでも否応なしに盛り上がってゆくのです」

このように説明を交えながらたいまつを掲げ、持ち方や扱い方を実演してくださった満仲先生は、最後に次のようにおっしゃいました。
「この火祭りが終われば熊野にもようやく春がやってきます。そういう意味では春を呼ぶ祭りといえるでしょう。また不思議なことに、この祭りの時期には “ドン” といった地響きが数年に一度起きるのですが、その原因は未だに全くわかっておりません。ただこの件に関して地元には “ごとびき岩の下に天狗が住んでいて、それが暴れている” といった伝承が伝わっているのです」
「この不思議なごとびき岩を下った麓に鳥居があり、そのすぐ傍に妙心寺というお寺があります。ここにはかつて熊野比丘尼(くまのびくに)と呼ばれた比丘尼が多数おられ、その方たちは命の循環を人々に説くため全国に散って行きました。全国各地に残る熊野神社(その数、約 3300)はその比丘尼たちのネットワークの証なのです。
かつての 熊野は木材の産地として資金にも余裕があり、それが比丘尼の活動を支えておりました。しかし時代は移り変わり潤沢な資金が底をついたとき、熊野は比丘尼のネットワークを切り捨てました。お金と情報が途切れた比丘尼たちは悲しい結末を余儀なくされ、今尚残る “熊野比丘尼は悲しい物語” といったイメージの温床ともなりました。
最近になって熊野三山に対し、熊野比丘尼の供養を勧める話が持ち上がってはおりますが、悲しいことに熊野三山協議会や三県知事会議(和歌山県、奈良県、三重県)には “どの地区が上に立ち、旗振り役をするか” といった点で話しがまとまらないのが現状なのです」
「自分の自は独自の自、分は部分の分。つまりそれぞれは独自でありながら、同時に全体の一部でもあることを自分という文字は表しているのです。それは自身の中にある自意識だけを見るのではなく、外側から全体を見ることも大切で、私が一番である、と声高に主張するだけでなく、バランスを持った判断が大切だということを意味します。そういった意味を踏まえた上で、自分を見つめ直し大切なことを教えてくれる場所が熊野であることを再度思い返していただき、組織には的確な判断を、そして個人には素晴らしい人生を送っていただきたいと思うのです」

ホロンPBIでは熊野学をベースとした 「宇宙の法則・自然の法則」 という物事の本質に迫る満仲先生オリジナルな内容の講座をこれからも定期的に行ってゆきたいと考えております。 気軽な雰囲気の中、本当に気持ちの良い「体験」や「知識」に触れ合っていただけるチャンスを皆様にご提供すべく好奇心一杯の気持ちで会場をご用意させていただきますので、どうぞ本講座にご期待下さい。
スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。 
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