2006年8月
『宇宙の法則・自然の法則 〜満仲サロンへようこそ〜』・・・満仲 雄二 先生


皆さん、こんにちわ。今回より熊野学の生き字引・満仲雄二先生の講座をレポートさせていただくこととなりました。これから始まる満仲サロン講座シリーズとは、座学形式でざっくばらんとした雰囲気の中、満仲先生のご専門である熊野学の領域から、表記のごとく 「宇宙の法則・自然の法則」 といった物事の本質まで迫ることを目標とした、意欲的且つオリジナルな内容を標榜とするものです。 物事の起源までしっかりとフォローされた先生の知識を駆使することにより、歴史の裏に通ずる先人の知恵の現代解釈から、今後の地球環境と人間生活とのバランスを考える上で重要なキーワードとなるスローライフやクオリティライフ、ロハスといった発想の大元への紐解きとアプローチといった分野まで、回数を重ねるごとに幅広く飛び出してくるかと存じます。
現代を生き抜くための 「日本人力」 を目覚めさせ 「見えないものを見る力」 をも養う本講座、どうぞ宜しくお願い致します。

【満仲 雄二(みつなか ゆうじ) 先生】
1970年代、イタリアで東西文化のアイデンティティ統合を目指し、結果、以心伝心をテーマとする。その後、熊野玉置山に 「自然の理」 を学び、環文化計画として事業が循環する 「環の仕組み」 による以心伝心システムを提案、開発。
21世紀型循環社会実現への統合的経営意識やコンサルティングの指導を実施。「熊野塾」 の公開講座や千利休物語 「花は野にあるように」 公演プロデュース等、多岐に渡る活動を実施している。

「みなさん、こんばんは。私は満仲雄二と申します」 満仲先生が本講座を始めるにあたり会場の皆さんに向かって挨拶をされました。
「今日は熊野のお話をさせていただきたいと思っております」
「紀州地方に分布する熊野一帯は 2年ほど前にユネスコより世界文化遺産に指定されましたが、今回の指定は海、山の生態圏が侵され瀕死の状態に喘いでいた熊野の自然を守るためのギリギリのタイミングであったといえるものです。
しかし、物事はそう単純ではありません。確かに文化遺産としての指定は現地の環境を開発から守るためには良い選択だったと思いますが、反面、世界遺産に指定されてからというもの熊野の知名度が上がり、観光地化と共に現地訪問の方の数が飛躍的に増え、その結果、コケが剥がれ落ちる、植物は踏み荒らされるなどの大変な状況も生み出しております」 と、熊野の現状を説明された満仲先生は、スタッフに会場の照明を暗くするよう指示を出されました。

「では、ここからはありのままの熊野の自然を体験していただくために、私の友人が写した美しい写真の数々をスライドでご覧いただくことに致しましょう」
「今から 1200年ほど前の平安時代には、天皇が熊野を目指すためにまず京都から大阪天満まで船で移動し、そこから15日間歩いて熊野に辿り着いたと記録に残されております。尚、この行列は800人程度の規模であったらしく、その宿泊場所を王子と呼んでいたそうです。
ちなみに現在でもその名称が残っている場所のひとつに大阪阿倍野にある阿倍野王子が挙げられますが、当時の天皇はここで神事を行い、日本国の平和を祈った上で熊野に向かったとされています。そして、 熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社を総称した熊野三山にお参りをした後、再度大阪を経て京都に戻ったのです。
ところが、この往復 30日程度の天皇の旅が更に面白いことを生み出します。それは天皇の熊野三山へのお参りを見た一般庶民が 「なぜ天皇がわざわざ不便な熊野まで行くのか。これは熊野に何かあるに違いない」 と不思議に思い天皇一行の後をついて行ったというのです。
その行列は日を追うごとにどんどん長くなり、ついには蟻の熊野詣(アリノクマノモウデ)と呼ばれるまでになったということです」
「この写真をご覧下さい。この写真は那智の妙法山から見える富士山の頂上を撮ったモノです。ここから富士山までは視界を遮るような高い障害物がないために、このように富士山山頂が見えるのです」
「熊野の名の由来は、いつも雲が立ち込めている野という呼び名が転じ、神様といった大切なものがこもっている場所との意味が込められています。逆に熊野とは反対の場所である出雲は、雲が出てくる場所との意味があり、両所は神話の時代から密接な関係を持ち、事の始まりとして出雲から雲が沸き、やがて熊野にこもると表されて参りました」
「この雲海の下は熊野のふもとを流れる熊野川です。このように朝になると一面が水蒸気に覆われるのです」
「これは杉木立から朝日が差し込んでいる写真です。とても神々しいですね」
「これは熊野古道と呼ばれている道です。ここは石を敷き詰め道とし、その石を幾人もが踏み締めた歴史があるので少々のことでは崩れないといわれています」
「この写真では道沿いに大きな樹の根っこが出ていますが、このような根が暗示しているように熊野は別名 「根の国」 とも呼ばれています。これは熊野という土地が、時代の表には出てこないが重要な意味を持つ国であるという意味がこめられているのです。
また同じようないわれで 「樹の国」、「鬼の国」、「紀の国」(以上全てキノクニ) との名称もあります」
「この写真の場所は熊野古道の中でも高い位置にある場所ですが、この尾根の向こうには 七越峰(ななこしのみね)から見える、 果無山脈(はてなしさんみゃく)が確認できます。道の手前にはお地蔵さんが見えますが、昔の人は幾つもの山を超え、ヘトヘトになりながらもここまで辿り着き、目の前のお地蔵様に手を合わせて一息つくことにより、元気を取り戻してお参りをされたことでしょう」
「これは樹齢 700数十年といわれている杉ですが、枝が一方向に向けて伸びているのがおわかりになるかと思います。これは一方杉という有名な杉で、実はこの枝の一本一本が指し示す方向の先にあるのが那智の滝なのです。ちなみにこの周辺の杉はこの一方杉に限らずそれぞれの樹の枝全てが那智の滝を指し示しているということで、とても有名になりました」
「ここに写っている店は昔から続く茶店です。ここの女将さんは玉置さんという方で、代々この地方に伝わる話を守り続けてきた語り部の子孫であります」
「 熊野速玉大社は新宮というところにありますが、この地名には文字通り 「新しい宮」 という意味がこめられております。その地には権現山という山があり、その頂上にある大きな岩が 「元宮」 といって熊野に初めて神様が降り立った場所といわれているのです。しかし、あまりに山の上でお参りしにくいということで下(麓(ふもと))まで参拝場所を降ろしたのが新宮であり、熊野速玉大社なのです。
ここでは毎年 2月6日の夜に熊野速玉大社の摂社「神倉神社」で行われる 「お灯(とう)祭り」 と呼ばれる火祭り があり、合計 2000人ほどの男たちが集い、女人禁制で祭りを執り行います。昔からこの日だけは朝から白いモノしか食べてはいけないという決まりがあり、例えば豆腐なども醤油をかけずに塩で味付けして食すほど白色にこだわっているのです。しかし、唯一の例外としてどういう訳か紀州の梅干だけは食べても良いことになっており、これは私にも不思議に思えてなりません(笑)。ちなみにこの祭りには芸能人がお忍びで来ることも多く、例えば K・T(男性) や U・H(女性)、K・K(女性)などを見かけたことがあります」
などと美しい景色が写し出された多数のスライドを前に、熊野の自然の素晴らしさを説明される満仲先生。そのよどみない口調に参加者も引き込まれ、あたかも熊野古道を散策したかのような気分を味わえたようです。そして小一時間のスライド説明も終わり、会場に再び灯りが灯されます。

「さて、世の中で動くモノといえば古(いにしえ)の昔なら京都、現在なら東京といった華やかな都と相場は決まっており、いわば地面から上にある表の部分といえます。これは樹でいえば幹であり、さらに枝が伸び、葉が茂り、そして花が咲くようなものです。
これに対し熊野は世の中の根っこにあたります。ここには流行り廃りの光が差し込むことなどほとんどありませんが、普段目にする植物のように、地上部分は根っこからの養分が届かなければ生きてゆけないものなのです。ところが我々都会の人間は、地面から上にあるところばかりに目を奪われ、物事の根本である根っこを忘れてしまいがちなのです。万一根っこが腐ってしまったら地面から上の部分はひとたまりもありません。逆に地面から上が山火事で消失しても、根っこがしっかりと残っていれば地面から上の部分を再生することができるのです。」 と話された満仲先生は、壇上に設置されたホワイトボードに貼り付けられた日本地図を指差し、以下のように説明されました。
「ここに色々な図形を書き込んだ日本列島の地図がありますが、よくご覧下さい。私の指し示す先の兵庫県多可郡に千ヶ峰という 1000m級の山があります。続いて紀伊半島の真ん中にある玉置山、そこから横に伸ばした箇所に四国の剣山があり、この3箇所でそれぞれ一辺166kmの正三角形を成しているのがおわかりになるかと思います。そしてその正三角形のど真ん中に日本の国産み(くにうみ)が行われたと伝えられる淡路島があります。 これはいわゆる千ヶ峰トライアングルと呼ばれる正三角形なのですが、これを発見した人がまたミステリーなのです。
私の熊野における師匠が 15年ほど前、本人でさえ訳がわからないまま急に思い立ち、熊野から車を飛ばし、兵庫県多可郡にある一軒の家に辿り着いてしまった、という逸話があります。そして、その辿り着いた先にお住まいだったのが、後にこの地図をまとめることとなる池田さんというおばあさんだったのです。
その運命の日、師匠がやみくもに車を走らせ現地に辿り着き、直感で 「ここだ!」 と感じた家を訪ねてみると、なんとその池田さんが 「今日は誰か大切な人がやってくると思っていました」 とまるで師匠が来るのを知っていたかのように出迎えてくれたのだそうです。そして言霊を二人して出し合い、「鶴」 と 「亀」 をして 「これは私たちが道具として何かを成し遂げなければならないという意味ですね」 とお互い納得されたのだそうです。
こうした奇妙な縁の後、この池田さんの所に東京から宮内庁の者だという人が尋ねてきます。この男性は池田さんに 「とにかく日本地図を出して欲しい」 と述べると、幾日も幾日も家の一室に閉じこもり地図に線を引き続けたのだそうです。一方池田さんは、詳しい素性もわからない男性を気味悪いと感じながらも言われるままに地図をどんどん用意しました。その男性は神社や山を結ぶ五角形や六角形の図形を 3ヶ月ほど描き続け、最終的に千ヶ峰と玉置山、そして剣山の正三角形を見つけるのです。そして不思議なことにこの図形を完成するや否やその男性はいなくなってしまったということです」

「池田さんは何がなんだかわからないまでも、「これは日本という神の国の大元を示す大切なモノに違いない」 と考えられて残された地図を元に自費出版としてまとめられたのがここにある、この大きな赤い表紙の本なのです。もちろん自費出版ですから作られた部数も少なく、さらにその大半は各地の神社や図書館に寄付されたので、今となっては入手できる機会もなく大変貴重な資料だと思われます。
中身といえばこの通り、大量の地図に数限りなく書き込まれた図形の数々が並び、その一枚一枚に記されたペン先の全てが意味のある土地、神社、山を表し、その関係性及び神秘性を持って本を見開く私たちに伝えてくれているのです」

「思議という言葉がありますが、コレは人間の頭で考え動ける範囲、対象を指しています。対して 「不」 の一言がつくと不思議となり、これは思議できない、いわゆるコントロールできない神の領域を指す言葉に変化します。これは思議が先程申し上げた土から上の世界、そして不思議が根っこの世界を指し示す言葉なのです」

「日々生きていく上で何かの壁に阻まれたと感じるとき、自分の頭で考え解決の糸口を探ることも大切ですが、その凝り固まった自身の世界から一旦離れ、自分の考え及ばない本質の世界から自分自身を見つめ直すというのも一考ではないでしょうか。そして私たちがその本質の世界を垣間見るために自身を切り離すきっかけを与えてくれる貴重な場所、それこそが熊野の本質なのです」

冒頭でも述べましたように、ホロンPBIでは熊野学をベースとした 「宇宙の法則・自然の法則」 という物事の本質に迫る満仲先生オリジナルな内容の講座をこれからも定期的に行ってゆきたいと考えております。
気軽な雰囲気の中、本当に気持ちの良い「体験」や「知識」に触れ合っていただけるチャンスを皆様にご提供すべく好奇心一杯の気持ちで会場をご用意させていただきますので、どうぞ本講座にご期待下さい。
スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

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