上質人生大学

特別講座レポート

2008年7月
播磨陰陽師講座 / ~ 七福の神のお話 ~
尾畑 雁多 先生

 皆さん、こんにちわ。今回の上質人生大学公開講座レポートは、「 播磨陰陽師講座 / ~ 七福の神のお話 ~ 」 をご案内いたします。

 

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 この世界に福をもたらすと信じられている七福の神。その多くは外国の神でしたが、いつの間にか日本の神として祭られるようになりました。
 これら七福神の発生から、播磨陰陽師の伝承によって七福神の力を活用する方法までを本レポートにて密かに伝えます。

 

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i-obata.jpg尾畑 雁多(おばた かりんど) 先生】 
  1960年、赤穂浪士の子孫としてこの世に生をうける。 
  先祖代々、赤穂武士の間に伝わっていた古式陰陽道を伝承する播磨陰陽師の末裔として、幼い頃より様々な霊体験を通して、一子相伝の秘術を習得する。古式陰陽道の伝承は、歴史的に「謎の集団」として知られる播磨陰陽師たちのもつ呪術・霊術から武術・戦略や武家の風習にいたるまでの多岐にわたるが、特に当家の伝承は、古くは物部の祭祀に起因する夢操り・夢伝え等の、独特な夢の世界に関する伝承と、その世界から現実に影響を与え変更すると伝わるノウハウを有する。

 

 

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 0807_obata_01.jpg 「皆さんこんにちは」 尾畑先生が会場の皆さんに挨拶をされました。

 「一般的によく知られている七福神ですが、これらの神々は仏教の神ではなく、また神道の神でもありません。まずはこれら七福神は日本に仏教が入ってきた後の神々であるとお考えください」

 「東北や沖縄の一部などでは七福神の神々の構成が若干異なっておりますが、今回、播磨陰陽師伝承版として取り上げる七福神は、一般的に知られる “恵比寿天” “大黒天” “弁財天” “毘沙門天” “寿老人” “福録寿” “布袋” の七柱の神とさせていただきます。
 また、七福神には必須ともいえる宝船ですが、これは初夢に関係した祈りのひとつであります。私たち夢を操る播磨陰陽師の伝承としては、夢の世界に起こる現象そのものを七福神として取り込み、七福神の行法を通してめでたい物事を祝ってきたことを今ここで皆さんにお伝えいたします」

  と、このように七福神と播磨陰陽師との関わりの大筋を説明された尾畑先生は、同時にご自身で描かれた七福神の絵についてもお話しされました。

 

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 「皆さんのお手元に配りました七福神の絵ですが、これは私が夢で七福神を呼び出し、直接作り方を教わって描いたものです。このような絵は “霊符” と呼ばれておりますが、さらに今回の霊符については祓いをしながら一枚一枚書き入れた朱筆での七福神の回文も記しております。回文、祭文については後でご説明いたしますが、このような回文は古い書体で書かなければ効果はありませんのでよくご覧いただきたいと思います。

  皆さんにつきましてはこの霊符をよく目に付く場所 ~ 例えば、家の中のお好きな場所等の目線より高い位置に紙を傷めずに貼っていただけたらと思います。この霊符には見るだけで悪夢を祓い、福を引き寄せる力がこめられておりますのでどうぞご活用ください」

(絵につきましては写真をクリックしていただくと拡大画像をご覧いただけます)

 

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 「先程、宝船について少しお話しましたが、もう少し詳しくご説明したいと思います」
尾畑先生が宝船や七福神についての詳細な説明を始められました。

 

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 「宝船についてですが、最初に売られた宝船絵は京都・五条高辻の五条天神で売られたもので、このときは七福神の代わりに稲が乗せられ、絵の脇には万葉仮名で “かがみのふね” との添え書きがあったそうです。その後、江戸時代直前には宝船は帆掛け船となり、帆には “獏(ばく)” の文字が書き添えられるようになりました。この頃の宝船の絵は “夢違(ゆめちがえ)” または “夢祓(ゆめはらえ)” と呼ばれ、悪夢を取り去る霊符として、大晦日の夜に枕の下に敷いて悪夢を取り去るためのものとして珍重されておりました。ちなみに悪夢を取り去ったのち見る夢を初夢と呼んだので “正月二日に初夢を見る” と言われるようになったのです。

 

  その後、宝船には七福神が書き加えられ、悪夢を祓うためのものから良い夢をもたらすための霊符となり、帆には “宝” の字が書き込まれるようになりました」

 「七福神は仏教の神でも神道の神でもないと申しましたが、実はこれら七福神の神々は民間信仰の中で生まれ育った神なのです。七福神信仰そのものは室町時代末期、応仁の乱前後の京都に始まったといわれ、戦乱による疲弊、さらに商業の発生に伴う庶民の蓄えに端を成す個人の富を願う気持ちなどから、武士、庶民に関わらず福の神を求める土壌から生み出されたものだと考えられております。
  これら福の神として選ばれたのが、当時すでに人気の福の神であった西宮の夷三郎、比叡山の三面大黒天、鞍馬の毘沙門天、竹生島の弁財天女を中心に、布袋和尚や福録寿、寿老人が加わって七福神が生まれました。そして各々の発祥過程から恵比寿天、大黒天、弁財天、毘沙門天の神系四神と、布袋尊、福録寿、寿老神(通常は ”寿老人” と記されますが、我々播磨陰陽師の伝承では ”寿老神” と書き記します)の神仙系グループに分けることができるのです」

 「神仙系である寿老神ですが、役割は長寿と幸福で長生といわれております。寿老神は長い白髪、長い頭を持ち、鹿を伴っていることが多く、別名、老子の化身ともいわれております」

 「福録寿は支那の仙人で、宋の嘉裕(かゆう)と呼ばれる導士でした。役割は福徳・長寿で人徳となります。鶴亀を伴っていることが多いのですが、長寿はめでたい一方、死へ向かう意味もあり、福の神の中にこの神がいることで “福を望むとは言え、つねに物事には限りあるを知るべし” との戒めともなっております」

 

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 「布袋尊は支那の梁の三聖の名で弥勒の化身として伝わっています。役割は開運・良縁・子宝で度量であります。布袋尊は世の中を救う弥勒菩薩の化身ともいわれ、宝船の船頭の役目をする神です」

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 「次に神系のグループの説明を行いたいと思います。まずは恵比寿天ですが、この神は七福神中、唯一、日本の神であるといえます。役割は商売繁盛で清廉です。恵比寿天は大国主の神の子である八重事代主と同一神とされ、海岸付近に多く祭られています。ちなみに海から流れ着いたものや海にあった石を夷(えびす)と呼び、昔から信仰の対象とされているのは夷三郎が語源であるからだ、といわれております」

 「大黒天はインドのヒンドゥー教のシバ神がチベットを経由してマハーカーラに変化し伝わってきた神で、役割は豊作で知足となります。マハーカーラは大いなる暗黒とも呼ばれ “世界を破壊するときに恐ろしい黒い姿で現れる” と伝わっておりますが、漢訳仏典で “大黒天” と意訳されたことから大黒天と呼ばれるようになりました。またこの神はわが国に “戦闘の神” “厨房の神” の二系統として伝わり、当初は子供姿であったものが青年姿へと変化し、時代を下った江戸時代にて今に見る老人姿へと変化した経緯があります」

 「弁財天はインドのヒンドゥー教の女神・サラスヴァティー神がわが国に伝わったもので、役割は学問と財福で愛敬であります。弁財天はわが国に入ってきてから宇賀の御魂の神(うかのみたまのかみ)と習合し、日本独自の神となりました。ちなみに古い弁財天には、必ず人頭蛇身の宇賀の御魂の神が鳥居と一緒に頭の上に置かれております」

 「毘沙門天はインドのヒンドゥー教の神・クーベラー神が伝わったもので、役割は勝負事で威厳となります。物部系では “聖徳太子が物部守屋公に勝利しようと祈った際、夢に毘沙門天が虎を連れて現れ勝利する法を伝授した” とあるので表向きは毘沙門天を信仰しておりませんが、毘沙門天自体が聖徳太子がわが国に連れてきた中国伝来の陰陽師の流れを汲んでおりますので、信仰する気持ちそのものは密かに受け継がれております。
  この件に関しましては “聖徳太子が死んだ後も、守屋公を供養するため夢殿をつくらせ、その中に鎮座し何世代にも渡って守屋公を密かに供養せよ” との伝承も我らには残っております」

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 0807_obata_06.jpg ここまでで七福神それぞれの意味や役割を説明し終えた尾畑先生は、続いて七福神の祭文の解説に入られました。

 「七福神の祭文ですが、まずは “七福の神、ことほぎたまえ。七福の神、ことほぎたまえ。” となり、次に “恵比寿大黒、七福、七福。恵比寿大黒、七福、七福。大黒天の福笑い。恵比寿天も福笑い。” と唱えます」

 「大黒天の行は、心の内に嫌なことや悲しいことがあった時、それを打ち消すために行うためのものです。片手を頭の上に上げて小槌を振るかのように手を前後に振り、目の前に大黒天が笑っているかのようにイメージします。その際、小槌から金の粉が降り注ぐようにイメージしてください」

 「恵比寿天の行は、いつも寝ているといわれる恵比寿天を起こすための行法で “恵比寿の福を釣り上げし、めでたき春をぞ、祝いける。” で二拍手し “めでたけれ、めでたけれ。めでたけれ、めでたけれ。恵比寿の春をぞ、祝いける” と祭文を唱えます」

 「毘沙門天の行は戦いや、意味のわからない不安に対抗するための行法です。ここでは毘沙門天の顔が怒っているイメージを思い浮かべ、自分の気持ちとリンクさせます。そして “毘沙門天という神、毘沙門天という神、吾(あ)れと吾れらを守らせたまえ” と唱えると防御の祭文となります。その際、先程の祭文と同時に “怨敵退散” とも心の中で三度唱え、「えい」 と気合を入れると効果がさらに倍増する点も重要なポイントです」

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 今回も密度の濃い講義内容にて時間はあっという間に過ぎ去りました。そして最後に、尾畑先生は次のように話されて本講座を締めくくられました。

 

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 「今回の講座にてご説明いたしました祭文は、ゆっくりとした呼吸で行えば行うほど神と強くつながれるという本質を是非押さえていただきたいと思います。また、いい加減な気持ちで唱えた祭文は神はおろか人間にすら伝わらず、およそキツネやタヌキの類が聞き届けてしまうので、願うなら本気で言葉にすることも忘れないで下さい。

 

  また、冒頭にて皆様にお渡しした七福神の絵に記した回文(上から読んでも下から読んでも同じ言い回し、同じ意味の一文) の文言は “なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな” であり、これは、かの聖徳太子が作ったとされる非常に霊力の強い回文のひとつであります」

 「最後に祭文を唱える際のコツをお話します。望みとは想像した瞬間に頭の中で物質化するものと我々の伝承にあります。ですから心の中で一度強く願った後はその願いをすぐに手放し、忘れるように心がけてください。必要以上に執着することなくきれいなイメージを持つことができれば、皆さんも祭文の持つ強力な力を目の当たりにすることができることでしょう。本日はありがとうございました」

 

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 ホロンPBIでは忙しい毎日の中では中々感じることの出来ないような「感動」や「体験」を皆様に味わっていただけるよう、各界のさまざまな先生のお話をホロンPBI主催の「上質人生大学公開講座」を中心に今後も充実したラインナップで展開してゆきたいと考えております。

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 スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。

 

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