2006年9月
津村喬 VS 河野智聖~BIG対談
津村喬 先生/ 河野智聖 先生
皆さん、こんにちわ。今回の PBI 上質人生大学公開講座講座レポートは、気功の世界で著名な津村先生と、対談シリーズの河野智聖先生の BIG対談をご案内いたします。 『現在、津村先生は老子や黄庭経、抱朴子など中国の古典を気功の見地から解説するという大きな仕事をなさっています。今までこれら古典は学者が解説したものばかりで実践的な解釈とは異なっていました。長年気功の世界で生きて来られた津村先生だからこそつかめた経典の真実。今回は老子や孔子などの古典などを津村先生にお尋ねし、中国思想の根底に迫りたいと思います』(河野先生談) 1948年東京都生まれ。1970年早稲田大学第一文学部中退。1964年に初めて中国を訪れ、気功、太極拳に触れる。その後、気功を研究し、日本における気功普及活動の草分け的存在となる。中国のみならず、フィンランド、韓国などさまざまな国々との気功交流を続ける。 【主要著書】 「疲労回復の本―あなたの心身疲労を気功で癒す」 【河野 智聖(こうの ちせい) 先生】 武術と整体の融合から身を整える武術「やわらか心道」、快感覚で潜在能力を開発する「快気法」、皮膚にやさしく触れるだけで姿勢が変わる「ニコニコタッチセラピー」などを創始し、心と体の講座を東京・大阪・名古屋で開催している。現在、伊豆伊東に在住。 河野:「私が最初に津村先生とお会いしたのは 10年ほど前になりますか、ボディスペース活動という合宿で一緒にお風呂に入ったときですね。滝のようなお風呂の中でマントラを唱えておりました(笑)」 津村:「ハハハ。そうでしたね。あの当時は 「どこでも修行できるんだ」 とみんなで意気込んでいましたねぇ(笑)」 などと和やかな思い出話から対談がスタートいたしました。 河野:「今回、「津村先生と対談したいな」と思いましたのは、気功からみた心理療法的なことと、中国の古典から見た中国気功についての見解を是非、お伺いしたいと考えたからです」 津村:「わかりました。河野先生が今おっしゃった分野のことを便宜上、私は 「気功心理学」 と呼んでおりますが、実はそのような名称は存在しないのです。というよりも実際問題として、伝統的に中国に心理学そのものがなかったのです。なぜなら中国では心と身体を全くの一体として捕らえていたので、身体について考えるときは当然、心の分野もそこには含まれていたからです。 津村:「今まで日本で行われてきた気功は 導引(どういん) がメインでした。導引とは身体の外側を動かすと経絡が変化し、その結果心や病状を変化させることができる、というものです。ですからどうしても運動が主になりますよね。これは決して悪いことではないのだけれど、あくまでも気功全体でみると限定された一分野でしかないわけです。 当然、導引とは全く違うアプローチもあるわけで、例えば 10ヶ月かけて自分の心を変え変容を求める気功=内丹もあるのです。 津村:「いかに頭の働きをオフにするかですね」 河野:「これは脳の中の前頭葉の使い方だと思うのです」 津村:「現代は前頭葉の働きを過剰に求めすぎる社会だと思いますね。例えば今はやりの計算ドリル、あれは前頭葉に血液を集めるトレーニングで、身体と頭がどんどん切り離されてゆきますよね。 河野:「私の道場でもいかに頭を使わずにいられるか、をみんなと稽古しているようなものですからね(笑)」 河野:「簡単にいえば会社の社長と社員の関係ですね。社長は前頭葉にあたりますが、会社に関わる全ての業務を社長が決裁していると仕事はなかなか前には進まない。社長は方針を決め、後は社員の判断に任せるといった流れが必要なんです。 そしてこの流れは心と身体の関係にも当てはめる事ができると私は考えております。 似た様なところでは内臓、例えば腸の話があります。人間はお腹の中に酵素を持っているので消化状況に応じて分泌量を決めなければならないのですが、この判断を驚くことに脳ではなく、腸自身が行っていたということが最近の研究でわかってきたのです。 河野:「その辺りを中国ではどのように捉えているのですか?」 河野:「さぁ…(笑)」 津村:「中国医学では頭の脳は腎臓の出先機関であり、腎臓の一部が脳になったと考えられているのです。言い換えれば脳は腎が形を変えたものに過ぎず、脳の本体は腹にあるといっているのです。元々腸しか持たないような単細胞にも脳の働きがあったわけで、生命の出発点は腹である、と。 津村:「そうですね。気功の話に立ち返ってみると、気功には守気(えき)という概念があります。これは身体の表面にあって環境と人体の中間で身体を守る気であると考えられているものです。そしてもうひとつは営気(えいき)と呼ばれるもので、これは身体の中に存在し身体を運営する気ということになります。 津村:「まさにそれは道教の教えそのままですね。色々学び身に付けてうまくなるぞ、という考え方は儒教の思想なのですが、逆にどんどん捨てていけば色々できるようになるというのが道教の教えなのです。 津村:「その考えは気功的には地球の地平線を見なさい、という教えになりますね。 360度見回すと色々なものが見えますが、それを通り越した地の果てを見なさい、という訓練なんです。また、肝臓を活性化させるには目ですから、カッと目を見開いて遠くを見る、そして目から気を発するという動作も必要になってくるのですね」 この他にも気功的見地による瞑想法や行気・存思など多岐にわたる思想について語ってくださった両先生。最後に、河野先生主導による 3人一組になっての身体の動かし方と意識を確認する動作の実践、そして津村先生主導による、気功的な動作の実践が行われました。 河野:「今までの世界は西洋医学を中心に動いていましたが、これからは東洋医学の持つ目線や発想を取り入れていく時代になるのでしょうね」 津村:「西洋医学、東洋医学といった垣根を越えた両方の良いところを吸収した新しい体系が現れてくると思いますよ。一部を見るときは西洋医学の持つ知恵が役に立ち、全体の動きを見るときは東洋医学が役に立つ、そういったそれぞれの持つ位置づけの違いをうまく生かし利用していく時代が間近に迫っているように思います。そうなってますます気功的な見地からの精神と身体の紐解きが重要視され、また必要とされていくのだと思います」 河野:「今日は本当にありがとうございました」 ホロンPBIでは忙しい毎日の中では中々感じることの出来ないような「感動」や「体験」を皆様に味わっていただけるよう、各界のさまざまな先生のお話をホロンPBI主催の「上質人生大学公開講座」を中心に今後も充実したラインナップで展開してゆきたいと考えております。 気軽な雰囲気の中で本当に気持ちの良い「体験」や「知識」に触れ合うチャンスなんてそうそうあるものではないですよね。これを機会に好奇心一杯の気持ちを鞄に詰めて、会場まで足をお運び頂ければ幸いと存じます。 スタッフ一同、皆様のお越しを心よりお待ち申し上げております。 それでは次回のホロンPBI主催の「上質人生大学公開講座」を楽しみにしていて下さいね。楽しいこと、不思議なこと、そしてあなたの人生にちょっとしたエッセンスを加えることが出来ること請け合いです。 どうぞご期待下さい。
【津村 喬(つむら たかし) 先生】
気功文化研究所所長。NPO法人日本健身気功協会理事長。
「気脈のエコロジー―天人合と深層体育」
「気功宇宙―遊泳マップ」
「気功―心の森を育てる」
「気功への道」
「実践 伝統四大功法のすべて」
「脳とからだが若返る 四大気功入門」ほか多数。
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津村・河野: 「では宜しくお願い致します」 津村、河野両先生が同時に挨拶されました。
現在、普通に考えられているような身体と心をハッキリとわける思想はデカルト以降の西洋の思想であり、中国には独立した身体だけ、心だけの学問がないのです。中国における古来の名医と呼ばれた人たちは、当然のこととして身体と心を同一線上に観ていたのですね」
こういった内丹の中から有名な 「精気神」 という言葉が生まれてきたのです。これは見ての通り 「精神」 という言葉の中に 「気」 が入っている単語ですが、精気神の持つ意味とは、丁度水が氷になったり水蒸気になったりするようなものなのです。
もう少し詳しく述べると、身体の中で働いている気を精と呼び、心の中で働いている気を神と呼んでいるのです。そして、精と神の間にあって身体の中にあったことを心に書き込み、また心で思ったことを身体に書き込む転換装置が気であるのです。ですから気が媒介物となって見える世界(身体)と見えない世界(心)を翻訳し、行ったり来たりすることが内丹そのものであり、これこそが中国における心理学と呼んでいいものだ、と私は思うのです」
河野:「なるほどですね。身体の気と心の気との関係といえば、武術では目標の位置に身体を動かそうと考えると遅れてしまう、という実践に基づいた考え方があります。どういうことかと申しますと、内側の自分(頭)で先に動くと相手に動きを読まれるというものです。そこで、内側の自分と外側の自分(身体)を同時に動かし、自分の動きを相手に読まれない素早い捌き(さばき)をいかにして可能とするか、がテーマとなってくるのです」
現代という時代が抱える多岐にわたる問題への解決アプローチは、心と身体の持つ能力の同調をどれだけ高めることができるか、そのためには前頭葉への血液供給をいかに減らせるかということなのに、どうにも時代の流れに逆行しているような気がしてならないですね」
津村:「只でさえ集中できない ADHD(注意欠陥/多動性障害)的な 人間が増えてきているのに、それをますます助長しているような気がします。優秀な頭脳を持っているのに何も実現できない、つまりあれもしなきゃいけない、これもしなきゃいけないと気が多くて結局何も片づけることができない、加えてスケジュール管理もできない、つまり能力はあるのに形にできず行動にも移せないパターンなどは前頭葉が血液過剰状態である行動表現といえるのです」
例えばボクシングは動体視力に頼り、相手の動きに反応してパンチを出しますが、武術はその一連の動きを身体に任せてしまいます。頭で判断せず、攻撃も防御も身体の反応を信ずるのです。西洋的な能力向上は身体における個別箇所のパフォーマンスをいかに上げるか、に終始しますが、東洋的にはあくまでも全体のパフォーマンス向上をみた上で、各部の動きを考えるのです」
津村:「その点では西洋も最近気付き始めてきましたね。例えばスキー。今まではいかに斜面のうねりを見てどう対応するかに苦心していましたが、近頃は 「足にまかせろ(笑)」 と指導しているようです。ある調査では、頭で判断するのと、下半身に任せて斜面のコブに反応するのとでは情報処理に約 6倍の差があったのだそうです。もちろん状況処理を身体に委ねた方が反応も早いのです。
これは何を意味するかというと、腸は考えている、つまり全身の細胞一つ一つが脳の代わりになりうる能力を秘めているということなのです。最先端の生理学では全身これ脳とまでいっているのです。そういう意味ではいわゆる大脳や前頭葉は生きてゆく上でそれほど大した仕事をしていないのかもしれませんね(笑)」
津村:「中国医学では身体の働きの中心は 「腹脳にあり」 と考えております。ちなみに頭の脳はどのように考えられているかご存知ですか」
つまり、出先機関が肥大化し過ぎたために脊髄を介して身体と頭が分離してしまったのが我々現代人の身体の構造で、歴史的(進化的)にいえば腹脳の方が本質である、という考え方ですね」
河野:「そういった見えないもの=本質へのアプローチというものは、気というものに気づかないとなかなか理解し難いものだと思うのですが、幸い我々日本人には、気を使う、気が付くなど普段の何気ないしぐさの中に気が散りばめられていますから無条件に納得できる点もあると思うのです。もっともあまりに気配りをし過ぎると疲れちゃいますが(笑)」
例えば私は今、河野先生と向き合って話しているのですが、こうすることで河野さんと私の気が交じり合ってひとつの大きな気となり、二人を結ぶ空間を包み込んでいるのです。これが守気で私たちを守ってくれているのです。と同時に、私たちの話を聞いている会場の皆さんの気も交じり合っているわけですから、今まさにこの教室中が守気で満たされていることになります。
こういったお互いの気が交じり合っているという状態こそが重要で、そうでなければ私たちの話は会場の皆さんの耳(心)まで届かないということになるのです」
河野:「確かに気が巡らないと何も伝わりませんものね。ところで先ほどの腹の話ですが、武術的にいっても元来、最初から腹に全てを持っていると思うのです。一方、現世で修行し色々身に付けた技やモノはとても大切なものですが、逆にそういったものを捨てて生まれたときの身体の使い方を再現できれば、津村先生のように気功的なことができるのではないかと思うのですが…」
その根底にある考え方は、赤ん坊は一番生命力に溢れているので、生まれたての子供こそがあらゆるものを映す鏡である。しかし、人は成長するに従って色を塗られていくので何も映せなくなる…だから道教でいう成長というのは時間を遡上するイメージなんです。そしてその考え方というかイメージを中国の言葉で表現すると帰朴となるのです。朴というのは白木の意味ですから、つまりは白木に帰れといっているのです。 人は世間をうまく生きていくために色々な色に染まってゆきますが、しかしそれでは何も映せなくなってしまう。ですから全てを捨てる体験をして最初の鏡に戻りなさい、というのが道教の教えです。
ところで儒教と道教をこうやって見比べてみると孔子は理想的な大人に、老子は純粋な子供になりたかったのかも知れませんね(笑)。」
河野:「そうですね(笑)。ところで全てを捨てるという身体の捌き(さばき)方を武術的にいえば、それすなわち相手を見ない捌きになるんです。相手を見ちゃうと相手に捕らわれてしまうので」
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